


日本政府がメーホーンソーン県クムユアム郡メーガウ地区フアイトンヌン村とパーンマパー郡サン村で第二次世界大戦で亡くなった兵士の遺骨収集を行いました。
これは、人道的活動の一環として、戦没兵士を哀悼し、敬意を表するために行われたものです。
当時、ミャンマーに進軍して敗退した日本軍がメーホンソーン県に撤退しました。パーンマパー郡とクンユアム郡を経て逃げ込んできて、特にクンユアム郡には多くの兵が逃げてきました。そしてメーホンソーン県フアイポーン村に多くの遺体が埋葬されました。
当時のタイの住民は、逃げ込んできた日本軍は皆友好的で争ったりすることもなかったと証言しており、その縁からメーホンソーン県クンユアム郡には日本兵の慰霊碑が建立されました。
タイの北部には第二次世界大戦での敗戦で逃げ込んできた日本兵の話が結構あります。そして、遺骨収集も行われているとは聞いておりました。
このニュースのように、埋葬された記録があれば探しやすいのかもしれません。でも、終戦が80年前、それから逃げてきた日本兵が何年タイ北部に隠れていたのか知りませんが、いずれにせよ遺骨を探すのは難しい作業だと思います。
日本兵がタイ北部にかなりの人数逃げ込んできたという事実。それはインド北部に進行しようと9万人もの兵士を動員したインパール作戦の失敗によるんですね。
インド北部、ミャンマーが戦場となり、撤退を余儀なくされた日本軍がタイ北部に流れ込んだ、そこには負傷兵やマラリアに罹った兵などが多く、飢餓状態の兵士がほとんどで、逃げ込んだタイ北部で多くの兵士が命を落としたとのことでした。
タイ人はそういう兵士を匿ってくれたり、亡くなった際にも埋葬してくれたりしました。ゴールデントライアングルにある山の上のお寺の参道の途中にも日本兵の慰霊碑があります。
私の知り合いの実家でも逃げ込んできた日本兵のために小屋を用意して匿ってあげたのですが、小屋の前に置いてあげた食事を取る以外は外に出てこなかったと言います。その人は結局日本に帰ったというのですが、その際に御礼として短刀を渡してくれたと言っておりました。
戦争を決断するのは政治家。そして、犠牲になるのは一般市民。責任を取らされるのは一般市民。
いまも、各地で戦争がありますが、毎日心痛めるニュースが流れてきます。
選挙のときには命を賭けてがんばります!という政治家。国民の代表なのだから、戦争を決めた政治家、賛成した政治家が、柔道の団体戦のように、リングに上がり、国の命運をかけて、戦えばいいと私はいつも思います。命をかけさせられるのが、真面目に働いて税金払って、政治家を養っている国民というのは受け入れられません。
こうなれば、AIがシンギュラリティーを起こして、人類を支配するしか、正義を実行するのは難しいのかとも思います。